日立市と日立製作所のあゆみ
日立市は、日立製作所の創業の地であり、110年以上にわたって大切に守られてきた「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念のもと、事業を通じてお客さまと社会の発展に取り組んできた社会イノベーション事業の原点であり、日立グループのアイデンティティの拠り所でもあります。
日立市には、日立グループの主要な事業所や研究開発の拠点が10か所以上集まっています。多くの従業員やその家族が住民として暮らしており、地域を支えるインフラの整備や、病院の設立など日立市と日立製作所は長い間強いパートナーシップを築きながら都市の歴史を共に紡いできました。
最近では、日立オリジンパークの設立などを通じて、地域との交流や対話が生まれる場を作りながら、行政、産業、住民と連携し、都市の活性化とまちづくりに取り組んでいます。
茨城県における近代鉱工業の発祥の地
1905年、当時廃坑寸前だった赤沢銅山を買い受けた久原房之助(くはらふさのすけ)氏は名を日立鉱山と改め久原鉱業(くはらこうぎょう)を設立しました。
まだ電気も十分に行き届いていなかった日立に発電所を完成させるため、小平浪平(おだいらなみへい)氏が1906年に入社します。
その後も銅の製錬所を建設するなど、久原氏や小平氏をはじめとする先人たちの努力が実を結び、日立鉱山は日本有数の銅山に発展していきました。
1910年、電気機械の国内生産技術を強化するため、小平氏は久原鉱業から独立して、日立製作所を創業しました。
第1号製品である国産の5馬力モーターは現在でも保管されており、2023年には重要文化財にも認定されました。
当時の日立村の人口は約3000人でした。
人々の暮らしを支えたインフラの近代化
1906年より、日立鉱山や日立製作所、その社員が住むための社宅の近くには、供給所ができました。
供給所は、食料品や衣類などの生活用品を安くそろえる、スーパーマーケットのような施設です。
1970年代後半には茨城県内で80か所以上にも及びました。
その後も、日立市の工業が発展するとともに、住民の生活を支えるインフラも近代化していきました。
現日立駅から大雄院(だいおういん)までを総延長約5kmにおよぶ鉱山電車が結んでおり、無料で乗ることができました。
より生活の質を高めるインフラ普及
日立市で働く社員やその家族が増えたことで、1985年に日立市の人口は20万人まで増加しました。
市民の生活の質を高めるため、日立総合病院や日立水道などのインフラも普及していきました。
未来を拓く人づくり
日立工業専修学校や、現茨城大学工学部の前身となる学校もでき、教育の場も充実していきました。
これらの教育機関は、いまでも日立市の人づくりに大きく貢献しています。
2009年、日立製作所グループのシニアエンジニアや元学校の教員などが中心となり、小・中学生への理科教育支援を行うNPO法人である日立理科クラブが設立されました。
子どもたちの「理科離れ」が問題となっているなか、日立市ではモノづくりのエキスパートたちによる、子どもたちの科学に対する好奇心を育てる教育が進められています。
日立グループの原点へ
2021年11月、世界中の社会課題解決に貢献してきた日立グループの挑戦のあゆみと創業の精神を未来に伝えるため、「日立オリジンパーク」がオープンしました。
小平浪平氏が日立製作所を創業するまでの歩みを紹介する映像や当時の製品などにより、日立の技術開発、挑戦の歴史を体感できるほか、地域をはじめ様々な人たちの新たな対話の場となっています。
次の発展に向けて
2023年12月、日立市と株式会社日立製作所は「デジタルを活用した次世代未来都市(スマートシティ)計画に向けた包括連携協定」を締結しました。
この協定に基づき、市のすべての人が豊かに生活することのできるまちづくりをめざして、デジタル技術の活用と共創活動の推進を通じて、日立市全体の活性化及び市民の安全・安心な暮らしを実現していくために共創プロジェクトを推進していきます。
本プロジェクトでは、日立製作所の社会イノベーションの集大成として日立市の抱える課題解決をめざしており、日立製作所にとっても創業の地でRe Start(第二の創業)をめざす、非常に大きな挑戦です。 それらの活動を通じて、日立市の住民や、日立市を取り巻く産官学金のあらゆるステークホルダーとの協創を通じ、課題を特定し、解決策を策定し、実行していく、そのような新たな社会を創造する大きな動きを起こしていきたいと考えております。