【シリーズ・ふるさと日立大使 Interview】上妻 宏光さん

ページID1004644  更新日 令和6年1月24日

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上妻宏光さん/三味線奏者

写真:上妻宏光1

市では、日立市出身または日立市にゆかりがあり、芸能やスポーツなどさまざまな分野で活動する方を「ふるさと日立大使」として委嘱しています。このシリーズでは、大使の皆さんをお一人ずつクローズアップしてご紹介します。

トップバッターは、三味線奏者の上妻宏光さん!

2023年もさまざまなアーティストとの共演が予定されるなど、ジャンルや国境を越えて津軽三味線の新しい可能性を追求し続ける上妻さんに、お話を伺いました。

写真:上妻宏光2

「100年後にも残る音楽を。」

幼少期から三味線の魅力に惹かれ

三味線を始めたきっかけを教えてください。

父親が趣味で三味線をやっていまして、三味線の持つ音色やリズム感に興味を持ったのがきっかけです。6歳から習い始めました。

上妻さんの世代では、三味線を習っている小学生は珍しかったのでは?

珍しかったですね。もう天然記念物的に(笑)

上妻さんにとって、三味線の魅力とは?

僕がやっている津軽三味線の即興演奏はジャズ的なところもあるし、ビートはロックに近いとか、いろいろな要素を楽しめる。

三味線は弦楽器でありながら、打楽器のように撥(ばち)を叩きつけるように弾いたりするし、ケルト音楽やフラメンコなどに近い音階で、人間の心に響く旋律を奏でられるなど、世界に通用する楽器だと思うので、そういうところがすごく魅力的だと思います。

プロの演奏家になろうと決断したのはいつ頃ですか?

中学校2年生ぐらいです。

津軽三味線の全国大会で優勝したということも背中を押してくれましたけれど、やっぱり三味線が好きで、より多くの人に三味線を身近なものに感じてもらいたいという気持ちがあったんです。

その頃、姉の影響で海外のミュージックビデオを見たり、洋楽をよく聴いていたんですけど、三味線を洋楽に合わせたらおもしろい音楽ができるんじゃないかと考えるようになって、中学卒業と同時に東京に出て、高校に通いながらプロを目指しました。

*上妻さんのプロデビューは18歳。

当時は、三味線でジャズやロックを演奏する方は珍しかったのでは?

17歳の時に日本の伝統音楽を取り入れた「六三四Musashi(ムサシ)」というロックバンドから誘いがあり、活動に加わったんですが、やってみて三味線でもロックができると確信しました。

その後、アメリカに武者修行に出て、ジャズバーなどで飛び入りでセッションを行ったりしました。

写真:上妻宏光3
三味線への思いを熱く語る上妻さん

世界の人と「音」で会話したい

EU、アフリカなど、世界30か国以上で公演を行っているそうですが、特に印象に残っている国はありますか?

南米・コロンビアでは山の中腹でコンサートを行ったのですが、2万人ぐらいの人が集まったんです。

ただ、山頂にゲリラの拠点があって危険だということで、周りにはライフルを持った現地警察の方がいて…。

結構な緊張感の中で演奏したことを覚えています。

アフリカ・コンゴでのコンサートは、コロンビアのような緊張感は全然なくて、本当に自由に音楽を楽しんでくれているという雰囲気でした。

現地の人たちが机とかいろんな所を叩いてリズムを取るんですね。自分たちで自由に音を作って楽しんでいるのが伝わってくるんです。この対照的な2つの国が特に印象に残っています。

海外のトッププレイヤーとの共演など、チャレンジの原動力は何ですか?

やっぱり三味線が大好きなんですよね。だから、いろんな国の人と「音で会話したい」というか、表現の幅を広げたいという思いが強いんです。

自分の音楽と相手の音楽が合わさることによって、化学反応が起こって新しいサウンドが生まれることを経験して、貪欲にいろんな国のいろんな人と共演したいと思うようになったんです。

海外では言葉はできなくても、楽器を持てば「対等」というか、三味線のソロを弾いたときに反応がすごいんです。

そういうとき、自分が日本人であることや、日本の伝統的な楽器を演奏していることにすごく誇りを感じて、自分にしかできない三味線サウンドを追求する原動力になっています。

写真:上妻宏光4
さまざまな音楽スタイルと融合したコンサートを開催

「日立」への思いは人一倍!

日立市の思い出の場所はありますか?

子供の頃よく遊んだ「河原子海岸」ですね。曲を作る時にもよく行きます。

「泉が森」も好きな場所です。こんこんと湧き出るきれいな泉があって、子供の頃何度も訪れた場所ですが、とても落ち着く場所なので今でも訪れています。親父は、“俺が小さい頃は、ここでよく泳いでいたんだ”と言っていましたが(笑)

日立を思い浮かべながら曲を作ったことはありますか?

3枚目のアルバムの「紙の舞」というオリジナル曲は、水木とか河原子の海岸に車を停めて、海を見ながら曲の構想を練りました。

日立の子どもたちへのメッセージはありますか。

僕の場合は三味線でしたけど、子ども時代に多様な文化とか自然に触れることがとても重要だと思いますし、子どもたちには夢を持つことの大切さ、そして夢中になって努力をすれば、自分が想像もしていなかった扉が開くんだということを伝えたいですね。

ふるさと日立大使として、今後どのような活動をしていきたいと思いますか?

地元への思いは人一倍強いです(笑) だから、日立市の良さを全国にアピールしていきたいですね。今後は、音楽を通じて地元の皆さんともっと交流を深め、その輪を大きくしながら、日立を盛り上げていきたいと思っています。

写真:上妻宏光5
小川市長からふるさと日立大使の委嘱状を受け取る上妻さん

100年後にも残る音楽を作りたい

今後の活動の目標は?

津軽三味線は即興演奏が基本なので、譜面などは残らないものなのですが、それとは真逆に、100年後にも残る音楽を作っていきたいです。日本の伝統文化を大切にしつつ、それを現代のスタイルに革新させて、新しい音楽を作り上げていきたいと思います。

写真:上妻宏光6
2021年2月、津軽三味線奏者としては初めて、国立能楽堂の舞台で演奏する上妻さん

Profile

上妻 宏光(あがつま ひろみつ)

日立市出身。

幼少の頃より数々の津軽三味線大会で優勝し、純邦楽界で高い評価を得る。

国内外、様々なジャンルの垣根を越えたセッションは各方面から注目を集め、世界30ヵ国以上で公演を行っている。

また、万博でのプロデュース公演開催や中国の大型フェスで公演実施など、その活動は津軽三味線の"伝統と革新"を追求し続ける開拓の第一人者と言える。

2020年にはソロデビュー20周年を記念したアルバムと、矢野顕子とのユニット「やのとあがつま」のアルバムを同時リリース。

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