大煙突
「大煙突」は、日本4大銅山の1つと謳われた日立鉱山がその発展に伴う煙害を克服するため、1914(大正3)年3月に工事着工、同年12月に完成し、1915(大正4)年3月1日から使用が開始された、高さ155.75mにもなる煙突です。
日立鉱山の創業者久原房之助は、大煙突建設に反対の意見が多い中、「この大煙突は日本の鉱業発展のための一試験台として建設するのだ」と説き、建設の決断をしました。
この煙突の建設は、当時の日本国内では、まだ技術が確立されていなかった「鉄筋コンクリート造」を導入し、工事で使用した足場丸太は30,000本、作業に従事した人の数は36,840人と、まさに「大工事」でした。また、完成当時は「世界一の高さ」であったにも関わらず、着工から使用開始までわずか1年という驚異的なスピードで建設されました。この煙突によって煙を拡散することが可能となり、日立鉱山の経営の重荷となっていた煙害問題の軽減に役立ちました。しかし、1993(平成5)年2月19日、約3分の1を残して倒壊してしまいました。倒壊後に改修が行われ、高さは54mとなりましたが、現在も煙突としての利用が続けられています。
また大煙突の建設は、住民と企業の共存共栄への足跡を描いた、昭和の文豪新田次郎氏の小説「ある町の高い煙突」に取り上げられ、その存在が広く知られるようになりました。この小説は、2019(令和元)年6月に映画化されて、全国で上映され、鉱工業都市として発展してきた日立市の歴史と誇りを伝えています。
中里発電所は、1908(明治41)年に当時の日立鉱山の重要な電力源として建設された茨城県内で最も古い、川の水をそのまま引き込む「流れ込み式」の水力発電所です。市内西部を流れる里川沿いに位置するこの発電所から、山を越えて日立鉱山へ送電していました。
写真は1917(大正6)年頃の大煙突と日立鉱山大雄院製錬所の様子を撮影したものです。大煙突建設後は、煙害は急速に減少し、枯れ果てた山々を蘇らせるため、煙に強いオオシマザクラなどを植林しました。
市内には、日立市発展の原点でもある日立鉱山の歴史を展示した産業資料館「日鉱記念館」があります。日立鉱山の歴史や大煙突を紹介する本館のほか、鉱山で使用したコンプレッサー・削岩機や鉱石を展示した鉱山資料館があります。
基本情報
所在地
- 日鉱記念館(日立市宮田町3585)
- 中里発電所(日立市東河内町2955-2)
問合せ先
「大煙突」について
日鉱記念館 電話 0294-21-8411
「中里発電所」について
東京発電株式会社茨城事業所 電話 0294-24-5311
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