日立市の歴史

ページID1004633  更新日 令和6年2月28日

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写真:日立市上空から撮影

歴史をひもとく

市内には、ネバ山遺跡(入四間町笹目)、六ツヶ塚遺跡(大みか町)、鹿野場遺跡(高鈴町)などの旧石器時代の遺跡があり、2万5千年前から人々が生活していたと推測されています。縄文時代の遺跡も150あまり発掘されており、貝塚や集落跡が形成されていたことがわかります。

「常陸国風土記」には、駅家が助川や藻島(現十王町伊師)にあったことや、海岸に近い場所に集落が多くあったことが記されています。また、山海の珍味(石決明(あわび)、ウニ、貝など)が多く取れたことや、密筑の里(泉が森)が人々の憩いの場であったことなどもわかります。

平安時代末期から戦国時代にかけては、佐竹氏の支配下にありました。その間、多くの社寺が建立されました。

徳川幕府が開かれた後、この地方に水戸藩がおかれ、以後日立地方は水戸藩の支配を受けることになります。天保期(1830~1844年)には水戸藩の郷校として大久保村に暇修館が開校しました。

幕末には、海防のための陣屋が設けられ、助川海防城には水戸藩家老で現山形県山辺町出身の山野邊氏が城主となり、防備を固めました。

1889(明治22)年に村の統合が進み、宮田村と滑川村が合併し、日立村が誕生しました。

日立地方には、江戸時代から赤沢銅山と呼ばれる鉱山があり、幕末にはかなりの産銅がありましたが、鉱毒水騒ぎでその経営は安定していませんでした。1905(明治38)年、この銅山を買受けた久原房之助は問題を新しい技術と資金で解決し、短期間で日立鉱山を四大銅山の一つに数えられるまでに発展させました。

このとき、煙害問題が表面化し一時は経営の重荷になりましたが、1914(大正3)年に当時世界一の大煙突を築造し、また気象状況によって操業を調節する対策によって見事に乗り切りました。

1910(明治43)年には、小平浪平が日立製作所を創業、昭和期に大きな発展を遂げました。

1939(昭和14)年には日立市が誕生、第二次世界大戦では工場を中心に大きな被害を受けましたが、戦後鉱工業を柱に復興を遂げ、1983(昭和58)年には市の人口が20万6千人を突破しました。

その後、産業構造の転換などにより人口減少に転じています。

2004(平成16)年には旧多賀郡十王町と合併し、現在の日立市を形成しています。

小説「ある町の高い煙突」

写真:ある町の高い煙突イメージ


日立の大煙突にまつわる実話をモデルとして描かれた、直木賞作家 新田次郎氏の小説。市民と企業が協働して煙害を克服した本市の歴史が描かれています。

日立鉱山の発展に伴い、鉱山の宿命ともいえる煙害問題が発生し、樹木をはじめ農作物も枯れるなど近隣の山村に大きな被害をもたらしました。煙害に悩む中里村入四間の住民は、関根三郎(関右馬允がモデル)をリーダーとして日立鉱山と交渉にあたりました。日立鉱山の経営者であった木原吉之助(久原房之助がモデル)は、「一山一家」の経営家族主義を実践し鉱山を発展させましたが、煙害問題で住民との利害が衝突しました。このため、煙道や大口径煙突を建設し煙害を解決しようと試みましたが効果がなく、ついに政府や社内の反対を押し切って、当時世界一とうたわれた高さ155.7mの大煙突の建設に踏み切りました。大煙突が建設されてから、煙害は急速に減少し、日立鉱山は、枯れ果てた山々を蘇らせるため、庶務課長であった加屋淳平を中心に煙に強い大島桜などを植林するとともに、市民に無償配布して緑の復興に努めました。

これら市民と企業の協力による幾多の努力が今日の市の花「さくら」の原点であり、春になると市全体を見事にさくら色に染め、その歴史とともに市民の誇りとなっています。

大煙突とさくら

人々を煙害から守るためにつくられた煙突と、荒廃した自然環境を回復させるために植林されたさくら。
煙害克服へ、市民と企業の共生のストーリーがありました。

年表

西暦

(元号)

できごと

1889年

(明治22年)

宮田村と滑川村が合併し、多賀郡日立村が誕生する。

1898年

(明治30年)

常磐線助川駅が開駅する。

1905年

(明治38年)

久原房之助が赤沢銅山を日立鉱山として創業する。

1910年

(明治43年)

小平浪平が日立製作所を設立する。

1914年

(大正3年)

大煙突が築造される。 (1915(大正4)年 稼働開始)

1924年

(大正13年)

多賀郡日立村が多賀郡日立町になる。

1939年

(昭和14年)

日立町と助川町が合併し、日立市となる。

1940年

(昭和15年)

市の紋章を制定する。

1945年

(昭和20年)

終戦直前の爆撃等により、市内の約7割が灰になる。

※軍需鉱工業都市と目された日立市は、終戦直前、アメリカ軍から3度の爆撃等を受けました。

【6月10日】 B29による爆撃 1トン爆弾508発投下

【7月17日】 アメリカ艦隊による艦砲射撃 16インチ砲弾530発砲撃

【7月19日】 B29による焼夷弾爆撃 焼夷弾13,900発960トン余投下

1948年

(昭和23年)

かみね公園の整備に着手する。

1949年

(昭和24年)

日立市民の歌を制定する。

1951年

(昭和26年)

平和通りが開通し、街路樹として桜を植樹する。

1955年

(昭和30年)

日立市に多賀町、日高村、久慈町、中里村、坂本村、東小沢村が編入合併し、新日立市が誕生する。

1956年

(昭和31年)

豊浦町が編入合併する。

1962年

(昭和37年)

交通安全都市宣言をする。

1965年

(昭和40年)

群馬県桐生市と国内親善都市を提携する。

1977年

(昭和52年)

市の花「サクラ」、市の木「ケヤキ」を制定する。

1981年

(昭和56年)

日立鉱山が閉山する。

1982年

(昭和57年)

アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハム市と国際親善姉妹都市を提携する。

1985年

(昭和60年)

・常磐自動車道が日立北インターチェンジまで開通する。

・核兵器廃絶・平和都市宣言をする。

1988年

(昭和63年)

ニュージーランド・タウランガ市と国際親善姉妹都市を提携する。

1989年

(平成元年)

市制施行50周年、市の鳥「ウミウ」を制定する。

1990年

(平成2年)

「日立シビックセンター」、「日立新都市広場」がオープンする。

1993年

(平成5年)

  • 大煙突が3分の1を残して倒壊する。
  • 日立中央インターチェンジが開通する。

1994年

(平成6年)

「奥日立きららの里」がオープンする。

1995年

(平成7年)

終戦50周年記念事業として、平和の鐘を日立駅前広場に設置する。

1999年

 (平成11年)

市制施行60周年、「日立地区産業支援センター」がオープンする。

2003年

(平成15年)

  • 市のさかな「さくらダコ」を制定する。
  • 72年に一度の大祭礼「金砂大田楽」が公開される。

2004年

(平成16年)

  • 「吉田正音楽記念館」がオープンする。
  • 山形県山辺町と国内友好都市を提携する。
  • 十王町との合併により、新日立市が誕生する。

2005年

(平成17年)

環境都市宣言をする。

2007年

(平成19年)

日立市イメージマーク、キャッチコピー、イメージカラーを制定する。

2008年

(平成20年)

国道6号日立バイパス「日立シーサイドロード」が開通する。

2009年

(平成21年)

市制施行70周年、「日立風流物」がユネスコ無形文化遺産になる。

2011年

(平成23年)

  • 東北地方太平洋沖地震が発生(東日本大震災)、海岸部を中心として市全域で大きな被害を受ける。
  • 日立駅自由通路・橋上駅舎が完成する。

2012年

(平成24年)

  • 日立駅情報プラザ「ぷらっとひたち」がオープンする。
  • かみね動物園がエンリッチメント大賞を受賞する。
  • 第1回日立さくら杯社会人野球大会を開催する。

※伝統の「お山の早慶戦」の結果は・・・日立製作所が5勝2敗!

日立製作所 VS JX-ENEOS / 第1回 3-0 / 第2回 5-4 / 第3回 6-3 /第4回 6-7 /第5回 4-1 / 第6回 11-3 / 第7回 4-6 

2013年

(平成25年)

日立市新交通(BRT)を運行開始する。

2014年

(平成26年)

  • 道の駅「日立おさかなセンター」がオープンする。
  • 日立駅がブルネル賞を受賞する。

2016年

(平成28年)

かみね動物園の入園者数が2000万人を超える。

2017年

(平成29年)

  • 新体育館「日立市池の川さくらアリーナ」がオープンする。
  • 𠮷田正音楽記念館入館者が100万人を超える。
  • 日立市役所新庁舎での業務を開始する。

2019年

(平成31年)

(予定)いきいき茨城ゆめ国体2019(第74回国民体育大会)・いきいき茨城ゆめ大会2019(第19回全国障害者スポーツ大会)が開催。日立市内の会場では体操(競技、新体操)、バスケットボール、卓球、軟式野球を開催する。

 ※吉田正の苗字の「吉」は正確には上の「士」が「土」です。一部のパソコンでは表示できないため、当サイトでは「吉」を使用しています。

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